【読書】戦国日本と大航海時代
以前NHKでも同じような内容の放送をしていたが、戦国時代の日本とヨーロッパとの外交について解説した本。
学校で習った解釈では足りてない部分の解説が多々あって面白かったし、以前朝鮮出兵について興味本位で調べていた時に得た情報が書いてあった。
実際にヨーロッパに残されている文書に記載されている内容を基にしているので、納得のいく内容でもあった。
特に秀吉の朝鮮出兵についてがメイン。それに加えて、信長や家康はどう対応したかも記述されている。
興味本位で調べていた時にスペインの明征服を阻むものだったという記事を読んだが、まさにそれに近い内容だった。
大航海時代のアジアへのヨーロッパの侵入が、スペイン、ポルトガルの条約が起因であることが分かった。
簡単に書くと二か国のうちどっちが世界地図のどの部分を征服する権利を持つかという勝手な条約だ。
スペイン、ポルトガルの常とう手段で、カトリック宣教師が布教という名目で征服対象国にキリスト教の刷り込みをしてヨーロッパ文化の地ならしをし、そこにスペインもしくはポルトガルが攻め込むというスタイルを取ろうとした。
当初、ポルトガルは明を武力で征服しようとした。
日本は条約ではスペイン、ポルトガルの征服取り決めの境界で、どっちにも征服する意思があった(非常に勝手でおかしな話であるが)。結局取り決めも守られずアジアにどちらも食指を伸ばしてきたということのようだ。
ところが戦国日本は実戦を繰り返してきており、武力で攻め取るには手強いことが分かってきたらしい。
そこで日本を利用して明を征服する案を選択肢として考え出したようだ。
宣教師たちは西国の大名たちとつながっていたが、日本のトップに食い込もうとする。つまり朝廷や幕府、それを上回る実力者達だ。
興味深かったのは、宣教師たちは大名を○○の王とし、将軍(もしくはトップに立った信長や秀吉)を皇帝と呼んだ。
司馬遼太郎の小説にも書いてある通り、当時の日本は独立国家共同体みたいだったらしい。
信長も秀吉も家康も、貿易では利益があるので宣教師の布教を許していた。
さらに信長はポルトガルはインドに副王を置いていたが、日本にまで来る力は無いと思っていた。
だが秀吉はポルトガルを警戒していたと同時に、ヨーロッパに対して力を示したいという野望もあった。
色々な情報から宣教師のやり方を知ったので、秀吉と家康はキリスト教を禁教に舵をきった。
実際に東南アジアで日本人奴隷が多くいるという目撃情報を得たらしい。
キリスト教を禁じたのは、当時のスペイン、ポルトガルのやり方を考えたら日本を守るためにやむを得ないというところだろう。
そして秀吉はスペイン、ポルトガルより先に明を手に入れようと考えた。ヨーロッパの侵攻から日本を守ると同時に、秀吉は自分のプライドもあったようだ。
当時の軍事大国日本は、実際朝鮮出兵でも快進撃を続け、明軍が出てきたところで膠着状態になった。
結果、これがスペイン、ポルトガルの積極策を封じることとなったようだ。
なぜなら、日本の軍勢が国外に侵攻する力があることを見せつけたからだ。
その後スペイン、ポルトガルとは当然疎遠となるが、代わって家康はオランダ、イギリスと仲良くする方に方針変換した。
なので鎖国というより仲良くする国を変えたというのが正解のようだ。
最後に伊達政宗の使節派遣にも触れている。伊達政宗は独自に貿易を続けようとしたらしい。
結果、秀吉の危機感が日本をヨーロッパの侵略から守るきっかけをつくったということだった。
秀吉の朝鮮出兵や禁教が、欲や偏狭で起きているのではないということを、もっと伝えるべきだと思わせる、興味深い内容の本だった。



戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略 (中公新書) - 平川新
学校で習った解釈では足りてない部分の解説が多々あって面白かったし、以前朝鮮出兵について興味本位で調べていた時に得た情報が書いてあった。
実際にヨーロッパに残されている文書に記載されている内容を基にしているので、納得のいく内容でもあった。
特に秀吉の朝鮮出兵についてがメイン。それに加えて、信長や家康はどう対応したかも記述されている。
興味本位で調べていた時にスペインの明征服を阻むものだったという記事を読んだが、まさにそれに近い内容だった。
大航海時代のアジアへのヨーロッパの侵入が、スペイン、ポルトガルの条約が起因であることが分かった。
簡単に書くと二か国のうちどっちが世界地図のどの部分を征服する権利を持つかという勝手な条約だ。
スペイン、ポルトガルの常とう手段で、カトリック宣教師が布教という名目で征服対象国にキリスト教の刷り込みをしてヨーロッパ文化の地ならしをし、そこにスペインもしくはポルトガルが攻め込むというスタイルを取ろうとした。
当初、ポルトガルは明を武力で征服しようとした。
日本は条約ではスペイン、ポルトガルの征服取り決めの境界で、どっちにも征服する意思があった(非常に勝手でおかしな話であるが)。結局取り決めも守られずアジアにどちらも食指を伸ばしてきたということのようだ。
ところが戦国日本は実戦を繰り返してきており、武力で攻め取るには手強いことが分かってきたらしい。
そこで日本を利用して明を征服する案を選択肢として考え出したようだ。
宣教師たちは西国の大名たちとつながっていたが、日本のトップに食い込もうとする。つまり朝廷や幕府、それを上回る実力者達だ。
興味深かったのは、宣教師たちは大名を○○の王とし、将軍(もしくはトップに立った信長や秀吉)を皇帝と呼んだ。
司馬遼太郎の小説にも書いてある通り、当時の日本は独立国家共同体みたいだったらしい。
信長も秀吉も家康も、貿易では利益があるので宣教師の布教を許していた。
さらに信長はポルトガルはインドに副王を置いていたが、日本にまで来る力は無いと思っていた。
だが秀吉はポルトガルを警戒していたと同時に、ヨーロッパに対して力を示したいという野望もあった。
色々な情報から宣教師のやり方を知ったので、秀吉と家康はキリスト教を禁教に舵をきった。
実際に東南アジアで日本人奴隷が多くいるという目撃情報を得たらしい。
キリスト教を禁じたのは、当時のスペイン、ポルトガルのやり方を考えたら日本を守るためにやむを得ないというところだろう。
そして秀吉はスペイン、ポルトガルより先に明を手に入れようと考えた。ヨーロッパの侵攻から日本を守ると同時に、秀吉は自分のプライドもあったようだ。
当時の軍事大国日本は、実際朝鮮出兵でも快進撃を続け、明軍が出てきたところで膠着状態になった。
結果、これがスペイン、ポルトガルの積極策を封じることとなったようだ。
なぜなら、日本の軍勢が国外に侵攻する力があることを見せつけたからだ。
その後スペイン、ポルトガルとは当然疎遠となるが、代わって家康はオランダ、イギリスと仲良くする方に方針変換した。
なので鎖国というより仲良くする国を変えたというのが正解のようだ。
最後に伊達政宗の使節派遣にも触れている。伊達政宗は独自に貿易を続けようとしたらしい。
結果、秀吉の危機感が日本をヨーロッパの侵略から守るきっかけをつくったということだった。
秀吉の朝鮮出兵や禁教が、欲や偏狭で起きているのではないということを、もっと伝えるべきだと思わせる、興味深い内容の本だった。



戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略 (中公新書) - 平川新
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